お久しぶりです。
年が明けてしまいました。
お元気にしていましたか?
公私共に昨年は色々な事があった一年でした。
その中でも大きかったのは、
10月末に祖母を亡くした事です。
他界したとの報告を受けてから、
通夜の前日深夜に福島の自宅に到着し、
家族は寝静まっていましたが、
和室で横になっている祖母と対面し、
そこで2人きりでの時間を過ごし、お別れの挨拶をしました。
祖母はとにかくいつも明るく、身体も大きく、パワフルな女性でした。
米屋の娘で、長年商店を営む我が家に嫁いできて、色々苦労があったと思います。
いつも店番をしたり、配達をしたり、
来客に飲み物をふるまったり、港町のため訪れた漁師と話したり、お店には常に人が居ましたので、物心ついた時はお店に行けば大人がたくさんいました。
思春期はパワフルな祖母が嫌でした。
母が働きに出ている時は、学校へ迎えに来てと頼むと、軽トラを豪快に校門の前につけ、私の姿を見つけると、プップー!とクラクションを鳴らすのです。
それが中学生の私には恥ずかしくて恥ずかしくて、「やめてよ!」と何度も怒った記憶があります。
高校へ進学すると、
スカートを短くして登校する私に、「スカート長くしろ!」と毎日言ってきました。
お店の目の前に高校行きのバス停があり、バスを待ちながらこっそりスカートを短くしていると、お店からそれを見逃さなかった祖母が、「スカートみじけぇよ!太い足だすめ!(スカート短かいよ。太い足ださないで!)と言ってくるのでした。
上京すると、定期的にお米や食料を送ってくれて、荷物の中には必ずカレンダーの裏に書かれた手紙が入っていました。祖母は達筆でした。
お店で字を習った記憶もあります。
今思うと、たくさん愛情をもらって育ちました。
社会人になってからは、
きちんと働いている気配もない私をずっと心配してくれていました。
私は、役者業やラジオなど、表に出ている活動のことをあまり伝えずにいたのです。
誰かから話を耳にして知ることもあったかもしれません。
昨年出演した舞台が終わったタイミングで、祖母に黄疸がでて、緊急入院しました。
東京からお見舞いに行くと、
「あんた、元気にやってんのげ?」
と明るく話してくれ、
「ばあちゃん身体大丈夫なの?」と聞くと、
「うん、大丈夫だ〜それよりあんた、舞台やったんだって?」
などと、とにかく自分のことより人の話にする祖母でした。
「どんな小さな役でも一生懸命やるんだよ」
そう言ってくれた言葉は、私にとってとても大きかったのだ。
もっと話したい事も聞きたい事もありましたが、なんだか照れくさくて話せないままでした。
祖母が亡くなった日は、
ものすごく気持ちのいい、笑ってしまうほどの晴天の日だった。
ばあちゃんぽい。
とにかく明るくて、気前の良い祖母は、
どこかでおしゃべりお友達を作ったりして、変わらずにやっている事だと思います。
しっかりやらないと、あのバス停に立っている時のように怒られそうなので、私は私の今後をしっかり元気に歩まないとね!
夏の夕暮れにお店の前のベンチで、
うちわをあおぎながら、おかえり〜と言ってくれるのが、私の中に浮かぶ祖母の姿です。
安竜うらら
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